我らはバルバロッサ東京・埼玉
下手の横好きなサッカーバカのオアシスたらん
バルバロッサ東京・埼玉とは何者なのか。
世界最高峰のUEFAチャンピオンズリーグが繰り広げられるヨーロッパから、マルコ・ポールも旅したシルクロードを東へ東へ。遥か方の中国のさらに東方。徐福が「東方の三神山に長生不老の霊薬あり」と荒れる海を渡った黄金島ジパング。そのジパングは、埼玉において、草サッカー界の底辺にて高みを目指さんとする努力の一切を惜しみ、勝とうが負けようが、ヘラヘラとボールを蹴り、自らはあまり走らず、他人には意外と厳しい愛すべき下手の横好きな草サッカープレイヤーの集合体こそ、我々バルバロッサ東京・埼玉である。
我らのような下手くそがサッカーをし続ける意味があるのかと、よく呆れられる。
だが、しかし。
我々は断固言う。
Jリーグを頂点とする日本サッカー界のピラミッドの最下層。上を目指さない我らの盤石たる存在こそが、日本のサッカー界の広大な裾野の証しであり、土台である。サッカー文化の、だれも見向きもせず、それでいて重要な担い手としての勝手な責任感。それこそが我々の存在意義である。
日本サッカー界のために。
我々は草サッカー界の最底辺にて、下手の横好きたちのオアシスたらん。
どんなに弱かろうと、
歩み続ける価値はきっとある
- 設立
- 2000年
-
698 試合 272 勝 99 分 327 敗 勝率 .454
1512 得点 1598 失点 得失点差 --86
1試合平均得点 2.16 点 1試合平均失点 2.28 点
21世紀を迎えんとする2000年7月。飲み会の3次会のけだるい雰囲気の中、バルバロッサ東京・埼玉は誕生した。メンバーは全員大学生。既存のサッカーサークルなんぞに入ってたまるか。サークルなどというのは軟派な学生の集合体であり、箱庭の中でちっぽけな権威をふりかざす先輩という唾棄すべき存在があり、井の中で天狗となっているサッカーの上手い奴=むかつく奴もいる。我々なんぞ、どうせ女子大生からきゃーきゃー言われることはなく、一瞥さえくれるわけがなく、声をかけたらギャーギャー罵られるだけである。
ならば、己自身で立ち上がれ。鶏口牛後となるなかれ。硬派一筋。草サッカーの底辺にて立ち上げれ。
かくのごとくあの頃、我々は大いにバカだった。バカなのでバカなこと考えの下、バルバロッサ東京・埼玉の活動が始まった。
始末の悪いことに下手なくせにサッカーバカでもあった。月日はバカバカしいほど早く流れた。加齢とともに、集うメンバーもまた年相応となった。迫り来る老化とメタボリックシンドローム。それなのに、我々は15年の時を超えても、未だにバカなのであった。我々のバカは、ネジがバカになってしまったかのようにサッカーバカであり、そして、我々がバカである限り、バルバロッサ東京・埼玉は続く。
下手の横好きであり続ける。あえて
サッカーバカであるのに、練習よりも試合が楽しいがゆえに、一切の鍛練を拒絶し、その代わりにちょうど良い対戦相手を探す外交力に磨きをかけた。広大な草サッカー界には我々と志を同じくするチームはたくさんいる。「類は友を呼ぶ」。この言葉こそがバルバの全てである。も若かりし日の根拠のない自信もなくし、自己の成長の限界を十分に思い知った。もう上手くなることもない。体力が戻ることもない。うまくなることを目標としているチームなら絶望的だが、下手の横好きを自負している限り、我らに悲観はない。外交力を磨き、ちょうどいい対戦相手を探索し続ける。50歳代、60歳代のシニアリーグに殴り込みをかける、もしくはジェンダーフリーを掲げ、女子チームとの対戦にも挑む。我々の挑戦は未だ続くのである。我々は下手の横好きであり続ける、あえて。そして必然的に。
- メンバー
GLOBALLY BARBA
世界から下手の横好きがバルバへ集う
過去、中国、韓国といった東アジアはもとより、大きな大きなエジプト人、むやみに足の速いジャマイカ人、明日の仕事をやたら気にする真面目なイタリア人もプレーした。華奢なノルウェー人はどこだ。リズム感のないブラジル人はどこだ。寡黙なサウジアラビア人はどこだ。バルバはこの埼玉草サッカー界の底辺に、世界の下手の横好きを招き入れる。
埼玉の頂点は浦和と大宮に任せる
バルバは底辺を担う
スポーツは一部の特別な人の者ではない。老若男女誰もが楽しめること、これこそがスポーツ文化である。むろんスポーツ文化などと小難しいことは意識したことなく、ただ自己の楽しさだけでサッカーをしているのみだが、我々のような下手の横好きでも、年齢を超え、巧拙を超え、サッカーを楽しむ。帰納的に埼玉のサッカー文化の一翼を担っているといっても過言ではない。浦和レッズと大宮アルディージャは埼玉サッカーが頂点に立つために奮闘し、同じ埼玉のサッカー文化を担うチームとして、我々は下手なりにボールを蹴りつづける、スポーツ文化の体現者として。